トランスパーソナル心理学
サイコセラピストへの道
3年前の阪神・淡路大震災は僕自身を変えるきっかけになったと思う。震災後、こころのケアに関わり、「一日でも早く日常に戻ることがこころのケアだ」と気づいたことから始まった。疲れを隠せないセラピストを前にして、いたわりの言葉をかえてくれた多くのクライエント、傷つきに入ってきた境界例のクライエント、多くの臨床仲間の暖かい眼差しに触れる体験から心理臨床への問いかけが沸いてきた。そして、アメリカに在住している目幸黙僊先生が「臨床家とは自分を臨床することだよ」と語ってくれた言葉は僕をエンパワーした。あの震災がなければ、サイコセラピストとして歩いてきた道について考えなかったかもしれない。
僕のサイコセラピストとしての原点を考えてみると、両親の故郷の沖之永良部島(鹿児島から南536kmに位置する人口1万6千人の小さな島)から始まっているように思う。それはシャーマンであった母方の曾祖父盛元中甫(明治2年ー昭和13年)にたどり着くからだ。彼のことを最初はユタ(メディアム)と信じて調べていたが、最近分かってきたことはメディスンマン(薬草、呪術、手当てなどを用いてヒーリングする人)に近いのである。曾祖父についてこれからも調べていくが、自分のセラピーの方向性を考えると何か腑に落ちるのである。自分の祖先にヒーラーがいたとある時点まで知らず歩んできたが、ひょっとしたら今まで中甫じいさんによってガイドされていたのかもしれない。
心理学への興味は大学時代から始まっていたように思う。大学では社会福祉を専攻していたが、ゼミは心理学ゼミを選んでいた。ソーシャルワーカーを目指していたが、公務員試験におち企業に就職した。一年が過ぎたころ、これは僕の仕事ではないと思い、2年間勤めて会社をやめた。そのときアメリカに渡ることを決めた。それは18歳のとき亡くなった父親の影響である。昼はフリーターをし、夜は関西カウンセリングセンターで心理学の勉強を始めたのである。そこで講師をしていたゲシュタルト療法の倉戸ヨシヤ先生の講義にこころが振るえた。そして、アポイントメントを取って大学を訪ねた。多忙な先生なのに、快く時間をいただき心理学やアメリカの生活のことなど親切に教えていただいた。
そしてアメリカに渡った。アリゾナ州ツーソン市から生活が始まり、カルフォルニア州バークリー市に移り根を下ろした。そこでカルフォルニア州立大学の大学院生であった井本恵章さん(現在関西カウンセリングセンター事務局長)に出会い影響を受け、臨床心理学を学びたいという思いが膨らんでいった。そして、目幸先生に出合ったのである。先生のワークショップに参加し、マンダラを描くことでユング心理学にはじめて触れ興味をもった。その頃、大学院に入るため、英語の勉強やコミュニティーカレッジで心理学の学部の単位を取ることで時間が過ぎていった。
本格的な勉強は大学院に入ってから始まった。指導教官であったスティブ・クレイポーから臨床心理学の基本を学んだと思う。彼が語った「言葉の向こうに触れるのだ」という言葉が僕の心理臨床の原点である。修論のテーマは「The
Art Therapist as A Contemporary Shaman」というテーマで書いていた。その論文を書くプロセスでトランスパーソナル心理学のことをスティーブが教えてくれた。そして、アメリカのトランスパーソナル心理学学会に入会したのが1983年であった。また親友のスザーン・ヨシイの紹介でサイコセラピストのシーラ・クリスタルに出会った。彼女は母親のフィリス・クリスタルのトランスパーソナル技法を用いてプライベート・プラクティスをしていた。後に、彼女から教育分析を受け、イメージ、シンボル、瞑想を用いたトランスパーソナルな視点や技法を学ぶことになるのである。大学院を終了し、しばらくアメリカの生活をエンジョイした。アメリカを離れるときに目幸先生に会いに行き、修士論文を渡した。先生からはエリアデの「Myths,Dreams,and
Mysteries」の本を戴いた。
日本に帰ってきて影響を受けたのは神田橋條治先生である。先生との出会いも不思議であった。はじめて参加した東京での学会で、入った教室の事例発表のスーパーヴァイズをしていた。ケースの流れを手にとるように見通していることに驚かされた。凄い臨床家だと思った。帰りの山の手線の電車の中に先生がおられ、声をかけ色々と質問をした。わかれ際に、「黒木さん、アイデンティティの問題ですよ」と禅問答のような一言が返ってきた。その言葉に僕はひっかかった。その言葉の意味が解るのに3年かかった。そして、鹿児島の伊敷病院に先生を訪ねたのである。
その頃、日本では吉福伸逸さんを中心に菅靖彦さん、岡野守也さんたちが共同でトランスパーソナルの翻訳本を精力的に出していた。彼らの多大な貢献がなければ、トランスパーソナル心理学は今ほど浸透しなかったに違いない。そして、1985年京都で行われ第9回の国際トランスパーソナル学会が開催され、ユング派の河合隼雄先生が中心になったおかげで一気に弾みがついた。吉福さんはC&Fというワークショップ組織を作りグロフのホロトロピック・ブリージング・セラピーを行こないトランスパーソナル心理学を熱心に広めていった。関西では、僕がトランスパーソナル心理学を関西カウンセリングセンターで教える程度であった。また吉福さんを関西カウンセリングセンターに招いて特別講義をしてもらった。そのとき、彼に翻訳をしないかと誘われたが、心理臨床が忙しく断わったことが思いだされる。
次第にトランスパーソナル心理学が知られるようになり、学会でも発表出来る空気がおこってきた。1990年、第9回日本心理臨床学会で、「トランスパーソナル心理学とはーいじめに出合うA君の事例からー」という発表を行った。日本のアカデミズムでトランスパーソナル心理学がどのように評価されるのだろうかという僕なりの冒険であった。小さな教室での発表であったが、満員になり手応えは十分だった。その頃、年に一度はカルフォルニアに戻り、シーラから教育分析を受けていた。そして、彼女からフィリスの著書『Cutting
the Ties that Bind』を訳さないかという話しがあった。シーラを通して、フィリスの技法を技法を用いて心理臨床を行っていたので引き受けることにした。そして、創元社から『心の執着を超えてー癒しと自己成長のイメージワークー』という題で翻訳が出版されるはこびになった。この翻訳は僕にとって大きな転機になったのである。
しかし、日々の心理臨床を通して、次第に輸入されたトランスーパソナル心理学に疑問を感じるようになっていた。その疑問とはアメリカ人と日本人の自我構造の違い、トランスパーソナルで扱う領域は元々東洋のテーマであること、アメリカのトランスパーソナル学会が白人中心であり有色人種の参加の少なさなどであった。そして、より日本文化に適したトランスパソナルセラピーを模索しはじめたのである。医療気功に出合って、「これだ」と思った。心理療法に何かがたらないと思いつづけていたことが、外気功を修得する中ではっきりしてきたのである。そして、輸入されたトランスパーソナルの方法論から次第に距離をおくようになり、より東洋の方法論へと興味が移っていった。関西気功協会の津村喬さんとジョイントのワークショップ「気功とトランスパーソナル心理学」を京都で行った。このワークショップを通して自分の方法論がますますはっきりしてきたのである。
日本でのトランスパーソナル心理学も翻訳を中心とした啓蒙の第一期から心理臨床を中心とした第二期へと移りつつある。吉福さんからC&Fを引き継いだティム・マクリーンさんと高岡よし子さん、ミンディルのPOPを提唱している藤見幸雄さん、精神科医の安藤治さんらを中心にアメリカでトランスパーソナル心理学を学んだ人たちが加わって、この心理学も彼らの活動によって次の段階に入った。そして二年前、日本トランスパーソナル学会が発足したのである。
早いもので、トランスパーソナル心理学に興味をもち臨床を中心に実践してきて15年がたつ。最近、朱鷺書房から『日本の心理療法』という本を三木善彦先生と共編で出版した。森田療法、内観療法、生きがい療法、建設的な生き方、箱庭療法、臨床動作法、壺イメージ法、俳句・連句療法、いのちセラピー試論、日本語臨床アプローチ、気の心理療法の論文があつめられている。気の心理療法は僕が執筆した。この本を編集しながら、それぞれの論文の奥に流れるセラピーのいのちに触れ、一度日本の文化に戻ることが必要だと思ったのである。
この本を神田橋先生に送った。先生からのメッセージはまたもや鋭かった。「日本には日本の心理療法ですよね。ぼくは今文化をこえた(つまり意識をこえた)心理療法を目指しています。まあ中心なのは気功とSelf-helpです」というメッセージが書かれていたのである。このメッセージをいただき、これから行こうとしている方向はこれでいいのだと確信し、先生に感謝した。そして、「Self-help」という言葉がこころに響いている。 僕は自分の辿ってきた道を振り返り、本当に多くの人に影響を受け、支えられていると思った。現在、東洋医学のアイデアと実践を通してきた気功学をベースにトランスパーソナルアプローチの「気の心理学」に向かっている。その根底には曾祖父の中甫じいさんが時空を超えて存在し、僕は少しでも彼に近づこうとしている。
初出:『心理臨床』11(2):129ー131、1998年
トランスパーソナル心理療法
1、はじめに
筆者は教育分析家シーラ・クリスタルに出会って、トランスパーソナル心理学の扉が開きました。呼吸法を用いたリラクセーションに始まり、イメージワークを中心に、スピリチュアリティ(霊性)へアプローチする体験的な分析だったのです。それは伝統的な心理療法を学んできた筆者にとっては目から鱗がおちる体験だったのです。
トランスパーソナルとはtrans(超える)とpersonal(個)が組み合わされて言葉であり、そこで問題にされるのは、個人の間にあると思われている自他との境界を超える意識を問題にしています。それは、多くの心理学が手をつけなかった新たな意識の領域をトランスパーソナル心理学がチャレンジし始めたのです。
本稿では、トランスパーソナル心理学が生まれる時代精神、この心理学の根幹となす視点、セラピーの実際を述べてみたい。
2、新しい意識への航海
トランスパーソナル心理学が生まれたのは1960年代後半です。当時のアメリカは若者を中心とするカウンターカルチャー(対抗文化)の動きで国家が揺れるほどのエネルギーが満ちあふれていました。カルフォルニア大学バークリー本校から始まるフリースピーチムーブメント(言論自由化運動)は全米に学園紛争というかたちで飛び火し、ベトナム戦争の激化が反戦と平和という大きな課題を担ったのです。多くの若者は「自然に返ろう」を合い言葉に社会に背をむけ、伝統的な価値観やライフスタイルを打ち破ろうとしました。そのような意識変革の中で、彼らの意識状態を変えた要因の一つはの庶民の日常生活に入り込んでいたドラグでした。ドラグによる非日常の意識体験が東洋宗教の世界観と結びついたのです。
このような時代精神の中で、行動主義や精神分析モデルに対する限界を問い直したのです。それは伝統的な心理学は社会に適応することを目指していたり、精神病理に注目していたからです。それに対してアブラハム・マズロー、カール・ロジャース、フィリツ・パールズなどの人間性心理学は人間を機械論的あるいは還元主義的に見るのではなく、人間そのもの存在をとらえようとしました。そして、マズローは人間性心理学を過渡期のものとみなすようになり、人間性、アイデンティティ、自己実現などを超え、人間の欲求や関心ではなく、宇宙に中心をおくトランスパーソナルで、トランスヒューマンなより高次の心理学を提唱したのです。そして69年にアンソニー・スティッチらと共に学会を設立し、トランスパーソナル心理学誌を創刊しました。
創刊号には、「メタ欲求、究極の価値観、統合意識、至高体験、エクスタシー、神秘体験、存在、本質、至福、畏怖、驚嘆、自己実現、自己超越、魂、瞑想的生活、悟り、宇宙的覚醒、霊的修行、慈悲、超個的現象、超個的自覚など、それらに関した概念、体験、活動の理論と実践に関する研究を発表していく」(1969、American
Transpersnal Association)としてトランスパーソナル心理学の研究や実践が始まり、新しい意識へ向けての航海が始まったのです。この新たなる航海へに向けての地図の下地には、ウイリアム・ジェイムス、カール・ユング、ロベルト・アサジョーリなどの研究が含まれており、その延長線上に東洋思想と東洋宗教の修行体系がつけ加えられたのです。
トランスパーソナル心理学はこの東西の世界観に橋を架け統合する新しいパラダイムを提示しいます。ロジャー・ウォルシュとフランシス・ヴォーン(1986)はこの立場から、|病理を回復させる伝統的セラピー}存在にまつわる問いに答える実存的セラピー~悟りや解脱など、実存レベルで直面した問題の超越をとらえる救済的セラピーの3つに分けました。今までの多くの西洋心理学では前者2つのモデルを取り上げてきたのです。トランスパーソナル心理学では、これらの3つのモデルを包括した立場から人間の本性を探求しています。従来の心理学との違いがは心の在りようを多元的にとらえ、からだからのメッセージを重視し、魂の領域でのスピリチュアリティ(霊性)に目を向けた点です。
3、トランスパーソナルの知
トランスパーソナル心理学の発展に、理論家のケン・ウィルバーは大きな影響を与えています。彼は「人間のパーソナリティが一つの意識の多層的な顕現、もしくは表現である」として意識のモデルを、物理学において電磁場が構造的に多層帯域をもっというモデルを用いて「意識のスペクトル論」を提唱したのです。次の図は四つの主要なレベルに分け意識の階層性を説明したものです。(1985、ウィルバー)
(図)ケン・ウイルパーによる意識のスペクトル
心のレベルとは宇宙、無限、永遠と呼ばれる一の世界であり、いかなる二元対立や分裂もなく、世界そのものの状態、すなわち統一された意識状態を示しています。次の実存レベルでは、有機体(心身統合体)と環境(自然)の二元に分化することで、時間と空間の中に存在し、自分と他者との境界線が引かれ、個人的な意志が発達しはじめます。されに自己レベルでは自我と身体の二元に分離することで、「私は身体をもっている」という心とからだを分けて考えるようになります。そして、影レベルでは自分のアイデンティティをペルソナ(仮面)と呼ぶ自我の一部に狭めることにより、自分と思いこむようになるというのです。このよに宇宙意志の高次のアイデンティティからいくつかのレベルや帯域をへて、自意識に集約される狭いアイデンティティ感覚や意識の在りようの状態にいたるのです。
斜めの線は、自己と非自己を表し、たとえば仮面と同一化している個人の場合、抑圧した自分の影の側面、自分のからだ、環境としての自然が自分とは関係がないように思われるのです。それらは潜在的に驚異をあたえるものとして映り、自己と非自己の境界は超個の帯域でこわれ、心レベルで消滅すると説明しています。そして各レベルでの自己と非自己のつながりが切れているとことが病の原因になり、表層から深層へ各レベルの「つながり」がもてることで癒しが行われるというのです。
またウイルバーは各レベルで起こっている問題を諸セラピーが取り扱っていると説明しています。
各レベルにおいて、諸セラピーは有効です。フロイト派は主な動機を性リビドーに求め、アドラー派の分析は優越感への欲求に重点をおき、行動主義は環境からの強化に目を向け成果をあげます。
しかし、あらゆるモデルは自己正当化の傾向をもっており、問題が生じてくるのは臨床家や研究者がそのモデルを支持すると思ったときで、それ以外の解釈やモデルを無視してしまうからであるとウォルシュとヴォーン(1986)は警告しています。それに対して、トランスパーソナル心理学はすべてのモデルの有効性を認め、排除するのではなく、統合する試みを行っているのです。
トランスパーソナル心理学の大きな特徴の一つは、意識の状態(the state of
consciousness)を取り上げたことです。このことでからだと魂の領域を無視することができなくなったのです。伝統的な精神医学や臨床心理学では、日常意識で感じられる以外の意識状態を経験すると、異常あるいは精神病理として切り捨てられてきました。ウオルシュとヴォーン(1986)は、早くから意識の状態について言及してきたウイリム・ジェームスの言葉を引用しています。
「われわれの日常の目覚めた意識は、意識の特殊なタイプにしかすぎない。日常意識の周辺には薄いスクリーンに隔てられ、それとはまったく異なる意識状態が潜んでいる。そういった意識の存在に関心を抱かなくても、人生を過ごすことはできよう。こういった異なる意識の形態を無視する限り、いかに世界をその全体性において説明しょうとしても、決定的なものとなりえない。要はそういった意識をどのようにとらえるかである。」
このような意識の状態に関しては、スタニスラフ・グロフが開発したホロトロピック・ブリージングセラピーにも現れています。彼のセラピーは、からだのメカニズムである呼吸法(過呼吸)を用いて、変性意識状態(Altered
State of Consciousness、グロフは非日常意識状態という言葉を使っている)を作り、無意識から出てくる素材を取り上げていくセラピーです。また、彼は精神病と呼ばれる人たちの中で、霊的な深化で起こる状態と区別し、スピリチュアルエマージエンシー(魂の危機)という新しい概念を作りました。(1997、C・グロフ+S・グロフ)
この概念は、DSM(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)「の中で精神病エピソードと神秘体験を分ける診断基準として取り上げられるようになったことは画期的なことでした。(Vcode62.89.,
Religious or Spiritual Problem) このようなことは日本でも1982年頃、「ユタ論争」のとき沖縄のいずみ病院の院長高江洲義英が論じてきたことです。
からだや魂の領域を含めた体験的なトランスパーソナル療法には、ロベルト・アサジョーリのサイコシンセシス(精神統合)、ユング派の流れからのアーノルド・ミンディルのプロセス指向心理学、ロン・クルツのハコミセラピー、フィリス・クリスタルのハイC(高次な意識)の技法などが参考になります。
4、トランスパーソナル療法の一風景
現在のところ、トランスパーソナル療法として統合された技法があるわけではありません。それぞれのセラピストが<トランスパーソナルの知>を用いて、セラピーを行っているのが現状です。
初回面接では、セラピストとクライアントが出合う大切なセッションです。多くの場合、共に旅をするのか否がこのときに決まります。相談にくるクライアントは自分のいのちが生きれなくなり、心身で症状を出すことでメッセージを送ってきています。筆者はクライアントの症状の出し方や自我のバランスを見極めながら、「この人の今生のテーマは何なのか」という点に注目して話しを聴いています。そこでは、クライアントの症状のラベルづけや病理を追求するのではありません。部分としての「症状」だけを見るのではなく、全体としての「その人」を見ているのです。
セラピーの内容は「クライアントの人生体験の全スペクトルを反映せざるを得ないので、内容が全面的にトランスパーソナルなものになることはまずない。」(1986、ヴォーン)セラピストはクライアントのいのちの流れに従って、生きていくうえでの日常の問題、生きる意味などの実存の問題、個を超えた高次の問題など、そのセッションに現れたテーマに取り組んでいきます。それらのテーマはクライアントがもつ多元的リアリティを取り上げます。その人にとっての人生のテーマは魂のテーマと一つにつながっているからです。
多くのクライアントの相談を受けていると、この世に生まれてきときから、いや前世を含めて各自が背負わされたテーマと時代や社会によって作りだされたテーマがあるように思われてなりません。それらの各自のテーマは苦が現れて始めて、自分に向かい合うことができるのです。死にたくなるほどの苦しみであっても乗り越えられない苦は与えられないように思われてなりません。その人がその苦に向かい合い、取り組むならば苦の迷宮から慈悲と呼ばれる通路が向こうから開かれてくるのです。その意味では苦と慈悲とは回転扉のようなものです。
セラピーでは、クライアントが「今・ここ」で意識していること、感じていること、夢やイメージで現れてくること、からだが表現していることを取り上げていきます。からだに注目することは、トランスパーソナル療法の特徴の一つです。それはクライアントが体験したことはからだが知っているからです。からだをスクリーンとして、全身が語ることに注目し、その変化を眺めるのです。そのためにはセラピストは意識をゆるめてボーッとクライアントを眺めるのがコッです。クライアントの語ることは過去の出来事であったとしても、「今・ここ」でのリアリティであり、それを覚えている無意識のからだが反応しているからです。また、心身のプロセスが動き始めるとクライアントのいのちの流れを信頼し、そのプロセスを援助することが大切です。そこではクライアントの内なる知恵が安全弁を発動しながら、その時のプロセスが全うされるからです。
20代の健太君(仮名)のあるセッションのときのことです。
彼は無表情でからだをまるめて面接室に入ってきました。そして、現在飲んでいる薬の量が増えたことから話しは始まりり、母親と食事に行ったときの話になりました。彼が幼い頃、彼女は体が弱く入退院を繰り返していたそうです。彼が成長する中で母への思いは複雑なものがありました。その日彼女は自分の若い頃の話しに終始ました。彼の淡々とした語りの中にも声のトーン、動作、表情の微妙な変化が読みとれたのです。「どのような気持ちでいたの」と聞くと、「母の話を聞いてあげなければという思いと早くレストランから出たいという気持ちだった」と彼は言いました。そのとき彼は手でお腹を押さえたので、「どうしたの」と聞くと、彼は「腹の底がうずいている」と言ったのです。その部位に手を当ててもらい、「その感覚は何なのだろう」と問いかけ、イメージワークに入ったのです。
「5歳ぐらいの男の子が現れました。その子は青いジャンバーを着ており右手に真っ赤なスコップを手に持っています。犬につけるような首輪をはめられており、苦しそうにもがき始めました。」と彼が言った。筆者は「子どもに近づいてごらん」と促すと、彼はイメージの中で子どもに近づき、その首輪をとってあげると、子どもは「ありがとう、楽になった」と言いました。筆者は彼に「その首輪をどうしたい」と尋ねました。すると子どもはそれを投げ捨てたが、ブーメランのように戻ってきたのです。それを二人で踏み壊すと灰になったのですが、ある部分だけが何度踏みつぶしても残った。その残ったものを子どもがきれいにしてみると水晶のような小石に変わり、子どもはポケットに入れました。そして「暖かい」と言ってニコッとしました。彼はその子どもに「どうたい」と声をかけると、子どもは「楽になった。ありがとう」と言いました。筆者は彼に「子どもにして上げたいことがある」と聞くと、彼は子どもの頭をなぜ、抱きしめたのです。
心理臨床の場では、セラピストの「今・ここ」での関わり方によってセッションの流れが変わっていきます。このセッションの場面で、クライエントの内的リアリティの流れは、表情とからだマ薬の話マ母親と二人での食事マ母親のストーリーマ彼の思いマからだの反応と流れています。セラピーの場面で、クライエントの内的リアリティの流れのどこに焦点を合わすかはセラピストの各学派の考え方と臨床経験(職人芸)によって違ってきます。このときのセッションでは、筆者は母親の話をしているときに起こったクライエントのからだに注目をしたのです。
トランスパーソナル心理学の視点からすると、内なる傷ついた子どもと彼との時空を超えたリアリティの交流に焦点があわさます。ここでは彼が(1)子どもに近づき首輪を外したとき(2)二人で首輪を壊すとき(3)子どもが水晶をポケットにいれ「暖かい」と言ったとき(4)子どもを抱いてあげたときがポイントになるのです。彼にとって、象徴的な首輪が彼を苦しめていた様々な思い(念)のかたまりでした。それを彼自身が(自らの力で)外したことの意味は大きかったのです。またその踏みつぶした首輪(闇の側面)の一部が水晶(光の側面)に変容したこと、そして最後に抱いてあげるという一連のプロセスが彼が行った自分の内なる子どもへの癒しだったのです。
5、おわりに
トランスパーソナル心理学に興味をもち、心理臨床を中心に実践してきて15年がたちます。この間に、1985年に第9回の国際トランスパーソナル学会が京都で開催され、1996年に日本トランスパーソナル学会が発足しました。日本においては、この心理学がやっと根付き始めたばかりです。
このようなプロセスの中で、筆者はトランスパーソナル心理学を<21世紀の心理学>と位置づけています。それはこの心理学が個人意識の奥に潜む魂の領域や宇宙意識を問題にしているからです。このことは時代精神が個を超えて人類のことを考える時代に入ったことからも伺えるのです。その意味でも、トランスパーソナル心理学が新たな意識の領域に向けて航海していることに臨床心理学の未来を見るのです。
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