マインドフルネスとは

マインドフルネスとは

(文献)
熊野宏昭「マインドフルネスの実践と理論『Samgja』別冊サンガジャパン3
PP58~88 2016年

1 マインドフルネスを3つの側面から語る
  ① 世界的に実践されてる「マインドフルネス瞑想」が何を示し、どういう 仕組みになっているのか
  ② 心理療法の世界でマインドフルネスがどのような形で応用されているのか
  ③ 2600年前にマインドフルネスがブッダによってどのように説かれたか
  
2 マインドフルネスとは「目覚めた状態」のこと
  マインドフルネスとは「気づいている」こと。
  「ハット我に返った状態」=「目覚めの状態」   
  脳のセイリエンス・ネットワーク「Salience Network(主要ネットワーク)」
  が働いて瞬間瞬間の自分に戻る。
  
3 マインドフルネスの練習方法
  「心ここにあらず」→ 「今ここに戻る」→「今ここに居続ける」練習。  
  心がそれてここにあらずから、再び「今ここ」に上手に戻る  
  →→ さらに練習すると、人となりが変わってくる。     
  マインドフルネスの特性が高まる。(心のクセの変化)   
  マインドワンダリング(心の放浪)「反芻」と「心配」の2つの要素がある。

4 マインドフルネスの特徴
  マインドフルネス瞑想の実践法は座禅や瞑想と基本的には変わらない。
  「注意を集めて」「呼吸を規則的に行う」
  マインドフルネス瞑想では、呼吸をコントロールしない。
  身体に任せて呼吸を行いそれを感じ取るのがマインドフルネス瞑想の特徴。
  マインドフルネス瞑想の二段階
  ① 前半—注意を集中する段階(サマタ)
  ② 後半—注意を分割する段階(ヴィパッサナー) 

 ① 前半—注意を集中する段階(サマタ)
  呼吸に伴う身体の動きに静かに注意を向けます。呼吸—腹、胸
  膨らむときは「膨らむ・膨らむ」、縮むときは「縮む・縮む」。
  「膨らみ・縮み」自分の身体がしたいようにさせる。
  雑念は出るもの。
  「何か考え始めた」と気づいたならば、なるべく早く切り上げ、 
  「雑念、雑念」とラベリングをして「戻ります」と声をかけて再び呼吸に伴う身体感覚に注意を戻します。
  これが大切です。
  これを注意の集中を高める「サマタ瞑想」といいます。

 ② 後半—注意を分割する段階(ヴィパッサナー)
  「注意を分割する」練習。注意の分割をいかに実現していくのかが課題。
  注意の分割とは気を配ることです。
  口元,お腹に意識を集中して呼吸をしましたが、今度は息が身体全体に流れていくようなイメージで
  呼吸をします。
  吸った息が手足の先端まで届き、手足の先にまで注意が向いていきます。雑念がでてきたときは、
  先ほどのようにラベリングはせずに「あ、なんか考えはじめたぞ」と雑念をそのあたりに
  漂わせておくにとどめます。
  「膨らみ・膨らみ」「縮み・縮み」も先ほどよりも自分の中の声を潜めて唱えるイメージです。

5 マインドフルネスとマインドレスネス
  「心ここにあらず」とは、思考や感情に巻き込まれた状態です。
  不安を感じると不安に巻き込まれてしまう。怒りが湧き上がってくると怒りに
  巻き込まれる手しまう。何かがほしくてたまらないと欲に巻き込まれてしまう。
  考えごとをしていると考え事に巻き込まれてしまう・・・・。
  巻き込まれるというのは、思考や感情の暗雲の中に自分が巻き込まれている
  ような状態です。周りじゅう暗雲なのでなにがなんだかわからない状態です。
  それをマインドレスの状態という。

  ACT(Acceptance and Commitment Therapy)
  ACTでは、思考や感情に巻き込まれた「心ここにあらず」の心の状態と
  そこから目覚めたマインドフルな状態をモデル化している。



① 回避と認知的フュージョン
「心ここにあらず」の特徴の一つは体験の回避です。体験の回避とは、自分が感じたり、考えたり、思いだしている嫌なことを感じないでおこうとする心の特徴、ありいはそういう行動バターンです。心から締めだそうとする。
これは生まれたときにはないパターンです。
私たちは心を閉じることによって、たとえ短時間であっても嫌な思い、恐ろしい思いをしなくて済む経験を積み重ねてきたからです。体験学習は無自覚。
それを癖にしてしまっている。
「認知的ヒュージョン」とは、自分が考えたり感じたりしていることに飲み込まれてしまうことです。「認知的」は思考、「ヒュージョン」は混同という意味です。何を混同しているかというと、思考の内容と、現実と、自分の三つを混同しているのです。

② 言葉の力
なぜ混同が起こるのかというと言葉の力。
レモン ヴァーチャルな現実が我々の心の中に作り出される。
自分の考えていることが現実ではないということが分かりにくい。

③ 概念化された自己
認知的ヒュージョンの特徴の一つは概念化された自己、つまり自分に対する思い込みです。我々は常に自己イメージ、自己概念を持っています。自分はこういう人間だ、こういうことが得意でこういうことが苦手だ、これは出来ない、こういう人とは付き合えない、といった自己イメージがあります。が、それは本当は思っているだけなのです。自己概念は自分を縛るものになる。

④ 過去と未来と自己注目
我々は「今ここ」にしかいません。過去なんてどこにもないし、未来もどこにもありません。しかし我々はかこのことにはずっとこだわり続ける。未来のことも心配してとりごし苦労をする。ヴァーチャルな現実を作り出す力よって、我々はあたかも過去や未来があるように感じてしまうわけです。これは、時間概念と現実を混同する行動です。「過去は反芻」、「未来は心配」ですから。過去や未来ばかりが大きくなぃて今がお留守になってしまうと鬱や不安につながっていきます。そうすると自分というものがどんどん大きくなります、「自己注目」が起こるのです。「自己注目」が起こると不安や鬱はいくらでも強くなります。思考から派生したヴァーチャルな現実はリアルな現実と対応しないので、いくらでも極端に考えられるのです。それが危ないところです。

6 アクセプタンスとマインドフルネスを実現する
 我々は常に「回避」か「認知的ヒュージョン」のどちらかにいっているわけです。心を閉じるか飲み込まれるか。それがマインドレスの特徴です。
 「心ここにあらず」になるのは何故か。
一つは考える世界に飲み込まれるからです。もう一つは考える世界に飲み込まれて辛くなるので回避のほうにいくからです。
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マインドフルネスというと「心ここにあらずの逆だ、目が目覚めた状態だ、練習するのは瞑想法を通して練習するのが一般的だ。
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まずは「回避」の逆です。つまり「自動的に閉じてしまる心の扉を開けておくこと」です。これをアクセプタンスといいます。「アクセプタンス」とは「今、不安になっているなあ」というのを感じながら、それをそのままにしておく状態です。そのままの状態にしておくとはどういうことかという。近づくもしないし、遠ざかりもしないということです。アクセプタンスとうのは今体験していることに気づいてそのままにしえおく、そういう行動のことを言います。

7 脱フュージョンでマイルドフルネスを実現するー観察者としの自己。
 もう一つは考え続けることをいったん止めて思考と現実を区別する「脱フュージョンと悩んだり、思い指したり、起こったりしたりしてることに、飲み込まれないよう距離を置いてみる。考え続けることをいったんやめて、考えの世界と現実の世界を区別していく。ちょっと高いところから自分を眺めるようにして、「観察者としの自己」を自覚する、というものです。
① 観察者としての自己を体験する。


8 距離を置いて自分を極限まで小さくする。
 我々が何かものを考えるとバーチャルな現実が作りだされます。我々はそのバーチャルな現実の風船の中に閉じ込められたような状態になります。一つ考えると次の考えが浮かんできます。どんどん考えが膨らんでその風船から出られなくなりになります。我々はその風船の中から外を見ているのですが、その風船が透明な風船だとしても、どこまでが思考でどこから現実かわかりません。
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 これが普段、我々がものを考えている状態です。見ている自分も風船の中に取り込まれているので思考と現実が重なってみるのです。見ている自分と思考の内容と現実が混同されているのが「認知的フュージョン」の状態です。
 「ハット我に返る」ときというのは、思考が止まる時です。そうするとヴァーチャルな風船が消えて、自分が風船の外に出られるのです。外に出ると先ほどまで考えていた思考の世界と現実の世界を外から見て、見比べることができるようになります。そうすると「同じわけがな」と気づくわけです。これが「脱フュージョン」です。観察者としての自己が自覚できると、脱湯ヒュージョンが可能になります。「思考」と、「現実」と、自分が別物だいうことに気づく。そういう瞬間がある。これが脱フュージョンが起こった瞬間です。
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 脱フュージョンをするには、見ている自分の自覚が必要です。それが自覚できると「見ている自分と思考と現実が分かれるぞ」ということが捉えやすくなるからです。だから脱フュージョンの練習をしているときは、一段上の視点から見ている自分を自覚する、とういうことが必要になります。
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すると、次の問題が生じてきます。
見ている自分を自覚するということは、見ているものと距離を置くことになりますが、見ている自分には思考が残っているのですね。
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 見ている自分が何のために距離を置いている家というと、自分が苦しく思いをしたくないからです。ということは、苦しまないように回避をしたい自分がまだいるわけです。そうすると結局、黒雲からでれなくなってしまいます。雲は思考が作りだす世界ですから、距離を置いてみようとすればするほど、自分を守るために雲の中にドボンと取り込まれてしまうことにもなりかねない。
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 そのときに、自分がどこから見ているのかをイメージしてみると出口が見えてきます。自分が黒雲の上の青空から見ているとしたらどうでしょうか。高い高いところ見下ろしてみれば、自分が小さくなる感覚になりませんか。
 空の上に上がっていけばいくほど自分は小さくなって余計なものはなくなる、そういうイメージです。見ている自分がどんどん小さくして、自分の中に「見る」という機能しか残さないようにすると、脱フュージョンがうまく現実するようになっていきます。
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 さらに自分が極限まで小さくなると、自分は点になります。そうなるともう自分とはいえません。仏教で言っている「四無量心」=慈悲喜捨が働く状態になるのだと思います。

四無量心(しむりょうしんcatur-apramāṇa)
 仏が4種の方面に心を限りなく配ること。 (1) あらゆる人に深い友愛の心を限りなく配ること (慈無量心) ,(2) あらゆる人と苦しみをともにする同感の心を限りなく起すこと (悲無量心) ,(3) あらゆる人の喜びをみてみずからも喜ぶ心を限りなく起すこと (喜無量心) ,(4) いずれにもかたよらない平静な心を限りなく起すこと (捨無量心) 。(出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)
「慈《じ》・悲《ひ》・喜《き》・捨《しゃ》は、四無量心《しむりょうしん》とも言われるものであり、悪い感情を静めて心を清らかにし、また煩悩を無くしていくためにも、仏教においては大切な実践になります。
 自分がいなくなると、見ている自分と見られている対象の分離がかくなり、見られているところに感じている自分がいるということになります。気よりゼロの俯瞰です。 まわりの世界との一体化しているような状態。究極の脱フュージョンの現実です。

9 極限まで注意を分割して自分を小さくする
① 注意を二つに分割する実験

マインドフルネスがいろんなものに気を配り、注意を分割するのは、思考を生まれさせないよにしながら、気を配っているわけですから、現実はばっちり感じているわけです。こればまさにマインドフルネスです。

10 マインドフルネスの構成要素を整理するー注意の持続・転換・分割
 マインドフルネス瞑想によって、注意のコントロール力が変わり、感情をコントロールする力も変わり、感情や情動をコントロールする力も変わり、それから自己知覚も変わってくることがお分かりいただけたと思います。
 Cマインドフルネス瞑想は注意の持続・転換・分割この三つで構成されています。

黒木が推薦する図書
1) 熊野宏昭(2016)『実践マインドフルネス』. (株)サンガ


2)香山リカ(2015)『マインドフルネス最前線』.(株)サンガ


3)チャディー・メン・タン(訳柴田裕之)(2016)
  『Search Inside Yourself サーチ・インサイド・ユアセルフ                     
   仕事と人生を飛躍させるグーグルのマインドフルネス実践法』. (英治出版.



4)ジョン・カバットジン(監訳田中麻里)(2012)『マインドフルネスを始めたいあなたへ』.星和書店


5)レベッカ・クレーン(大野裕監訳)(2010)『マインドフルネス認知療法』.創元社


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